2011
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6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
2012
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
11月
12月
2013
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
3/11
発災当日は、20:00頃全館を閉鎖。
詳細情報あり≫
バックヤードを一時避難場所に使用。
3/12
8:30分に全員出勤。1階搬入口に集合、情報交換。全員の安否確認。出勤当番を決め、その他の職員は 帰宅し以後自宅待機とした。
施設内の被害状況の把握
待機するだけの期間。守衛室の下で待機
3/15
オープンスクエアを事務スペースとして確保し、1階と2階を優先的に片づけ作業開始
3/17
図書館オフィス内作業開始(躯体の安全確保後)
3/18
メディアテーク職員による避難所への応援勤務開始(高砂市民センターへ朝~夜、2名づつ、約10日間)
3/28
全職員通常出勤
3/29
他館から応援18人を含め、図書館の片づけ作業を2/3程度行う。
業務に必要な機材を7階から2階へ移動開始。(4/7にほぼ完了)
4/2
設計者伊東豊雄氏が市長と面会(東北大・小野田泰明教授同席)連休前再開を確認
4/7
4月7日の地震後、図書館の片づけに他の市民文化事業団職員が応援に駆け付ける。
4/8
仙台市民文化事業団職員が市民図書館の応援作業に来館(17時まで)
4/9
移動図書館を再開(臨時駐輪場で)
4/17
17日以降電話がつながり始め、館使用取り消しなどの連絡をとる。
4/26
記者発表(市民図書館とメディアテークの一部開館について)
5/3
部分再開期間は開館時間を変更した。5月3日~5月31日10:00~18:00 6月 1日 10:00~20:00
6/3
5-6階ギャラリー、6月3日再開。5-6階ギャラリーは 5月 3日の時点で復旧できていたが、直ちに貸し出し対応はできなかったため、6月 3日に再開することとした(市民図書館は5月に再開決定がなされたが、ギャラリーの再開は当初から6月と予定されていた)
10月半ばからの7階復旧工事期間中は、6階ギャラリーの貸し出しを中止、使用不可能になった7階オフィスの備品を6 階に移動させ、仮置きした。
1/27
全館再開
3/4-3/11
卒業設計日本一決定戦
4/7
あるくと100人会議
6/16
3.11定点観測写真 アーカイブ・プロジェクト
作品の保全作業
3/11
閉館。職員は警備対応のため24時間の宿直体制に。当日だけ近隣住民や学生に避難所として施設を提供
詳細情報あり≫
3/15
電気・照明点検
3/17
電気・照明点検
4/2
再開を決める
4/7
余震でガラスケースが破損
文化財レスキュー
5/1
佐藤忠良記念館、創作室を開館
8/2
全館再開
10/27-12/12
フェルメールからのラブレター展
3/15-5/13
ヴェネツィア展
文化財レスキューの関わりについて
詳細情報あり≫
施設内部~外構~収蔵品(おおよそは 1-2日で把握)*職員を中心に 2人 1組で行動
3/11
正面入口前の広場を震災本部に。来館者は帰宅。職員が点検し、閉鎖。
詳細情報あり≫
3/12
臨時休館。企画展と常設展の確認点検。
3/16
博物館を建てた佐藤工業による被害調査
職員の館外での応援業務:避難所の運営支援を23年度の6月頃まで何回か行う。3月中旬より10日間から2週間、朝・昼・晩 3交代。一回に2?3名が勤務。その後も断続的に避難所の応援を行う
3/17
応急危険調査(一階は利用可という判断)
3/22
被害仮設調査および応急処置(天井落下物などの状況調査)
4/4
ポンペイ展展示資料の安全確保のため一時展覧会休止
4/7以前
ゴールデンウィークごろに常設展再開を計画。ポンペイ展はイタリア側との協議が長引く予想。
4/7
大きな余震により、常設展の特注ガラスが破損。常設展再開の見込みが無くなり、残していた常設展資料を収蔵庫へ。そのためポンペイ展を優先的に再開の交渉→4/19にイタリアの許可が下りる
4/8
天井などの復旧工事開始
4/19
イタリアからポンペイ展再開の許可がおりる
4/21
復旧工事(一回目)完了
市内の文化財保有者の巡回調査。約280件を訪問。
4/29
東北の震災の歴史を展示するパネル展を無料ゾーンでスタート
詳細情報あり≫
6/8-7/22
震災対応の工事(2回目・展示物のガラスケース修理)
中野・荒浜・東六郷の3つの小学校と荒浜の消防署の被災公文書については被災状況を把握。一部の処置できるものについて、乾燥やドライクリーニング等を行う。
常設展再開
市内の小規模ミュージアム施設の支援(被災書庫の整理など)
1/16-2/27
一時休館してエントランス天井の改修(震災対応工事3回目)
3/8
紅白梅図展
文化財レスキューの宮城の拠点として当館が7月末まで機能し、その間、国立の博物館や文化財研究所のスタッフが常駐。5月下旬~6月は一日平均20人、7月は十数人が事業に参加(*実際に作業をしに来る人に加え、視察も多数)
3/11
館の外に避難→2人 1 組で被害状況の確認→幼少の子供がいる職員を優先に帰宅させる。休館。
詳細情報あり≫
散乱した本の片付け。瀬名秀明企画展の資料の対応。資料の整理
5/17
再開アナウンス
6/24-7/15
文学にみる震災展
6/22
再開
9/18
言葉でなにができるか 対談
文学と格差社会展
1/21-3/20
最終の復旧工事終わる
3/27-4/15
井上ひさし資料集特集展 vol.1
研究棟への立ち入りできず
3/11
来館者に対し建物の外に出るよう指示。避難集合場所となっていた標本館駐車場に集合し、安否確認(当日の施設閉鎖までの経緯
詳細情報あり≫
3/12
オウムガイ水槽のポンプの乾電池交換
3/14
標本館内の詳しい状況調査
3/22
電気の復旧、標本館および博物館のサーバー、ネットワーク、ホームページ、メール等の復旧
理学部キャンパス内の旧風洞実験棟収蔵庫(約 250㎡)が、地震により地盤崩壊の危険があるため使用不可となり、収蔵していた金属博物館資料、古生物学標本、考古学資料の約半分を、いったん自然史標本館展示室に緊急避難させた。
6/7-6/8
別途収納場所として理学部キャンパス内の保管スペース(約50㎡)と片平キャンパスの旧男声合唱部練習場のスペース(約 150㎡)が確保できたため、 6月7・8日にその緊急避難分を含めて多くを搬入した。
クジラ全身骨格標本について、足場を組んで本格的な修復と点検工事を実施し、ひれ部については揺れても構造部に当たらないように角度を変更した。
7/1
物品の再配置や清掃など、展示室およびロビー周りの整備を済ませ、また土日の受付体制も復活させて、 7月1日より展示室の一般公開を再開することができた。
7/8
秋篠宮ご夫妻による総合学術博物館の視察(歌津魚竜館被災標本等を説明)
9/28-6/29
総務部広報課と共催で特別展示「東日本大震災―何が起こったか―その記録と解析」を開催(当初の会期は3月までだったが、6/29まで延長)
詳細情報あり≫
10/26
旧風洞実験棟と古いプレハブ収蔵室(約50㎡)が取り壊されることとなったため、10月 26日に、残されていたものすべてを追加で搬入した。そのさい理学部キャンパス内に新設されたプレハブ収蔵室(約 50㎡)を新たに確保し、そこにはおもに金属博物館の文献資料と大型標本を搬入した。
2/7-3/25
企画展示「復興、南三陸町・歌津魚竜館─世界最古の魚竜のふるさと─」を開催(内容→各館の出来事)
2/20-2/21
6月と10月に資料標本を移転した片平キャンパス旧男声合唱部練習場が取り壊されることとなったため、旧青葉山ゴルフ場クラブハウス内に収納スペース(約 180㎡)を確保し、再度移転した
青葉山にある旧金属博物館の建物が地震の被害が大きいため取り壊されることとなった。
建物内および敷地に残置したままでいた大型の資料7点のうち、2点を理学部キャンパス内に移設した
4/28-6/17
どくとるマンボウ昆虫展@東北大学
「東日本大震災―何が起こったか―その記録と解析。第2弾」を開催(内容→各館の出来事)
震災遺構の3Dデータを公開に向けて収録・整備
≫詳細情報あり
3/11
避難。バスでの来館者を見送り。職員10名が館で待機。職員の安全確認(当日の施設閉鎖までの経緯
3月11日、当日の様子はこちら≫
ネットワークや建物の検査・修繕に入る人たちへの対応(スタッフ 2-3名ずつ交代で)
3/14
09:40電気回復
3/27
水道回復
修繕工事(開館に必要な工事)終了※4月 7日の余震を受け、ライト擦れなどはあったが致命的な損傷はなく15日に再開
4/15
施設再開
※仙台市から早期再開せよの連絡あり(再開を急ぐ理由は明確ではなかった)
7/20-8/28
夏の企画展「はかる」
10/20
「ひとみ望遠鏡」復旧
2012/3/11
プラネタリウムの特別投影を実施
5/21
日食をみよう
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
3月中に業者による基本点検と応急対応は終了。再開に向けた方針を決定
3/13
夕方に電気が復旧。2週間後に水道が一部復旧(西側のみ。東側は4月末に復旧)
3/14
電気復旧
3/25
水道復旧
4/7
展示物の被害は11日より大きい
4/14
ガス復旧
4/19-4/28
資料等整理作業
6/1
特別展示室天井工事終了
6/11
るねっサイエンス始動
7/1
再開
7/17-8/24
トリックアートと3D感覚展
9/3-9/30
パネル展「地震」
4/15-6/15
文化財レスキュー展
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
3/29
建物診断(壁の剥離などがあり危険の為、「修理するまでは休館」の診断)
4/12
建築業者が来館
5/16
改修工事着工
6/18
引き渡し
7/9-11/3
仙台古地図の旅展
7/9
再開
4/28-6/17
オールドグラフィック展2
11/19-4/15
昭和の仙台・街とくらし展
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
3月15日まで避難所として利用された (指定避難所ではないので物資の配給などはなかった)
3/29
建物審査
4/14
専門家による被害調査
4月後半に被害状況を専門家に見てもらう会を開いた
6/13
仙台市から再開許可
6/14
再開
7/15-9/19
動物の考古学展
10/14-12/4
宮城の旧石器展
開館15周年
1/24-3/18
発掘されたお金展
4/13-6/10
仙台の遺跡①展
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
3/15
電気点検(業者が来館)
3/17
照明点検(業者が来館)
3/26
空調点検(業者が来館)
3/29
建物点検(業者が来館)
4/8
再開決定(市による決定)
4/12
再開
7/15-9/25
縄文人のなりわい展①
10/14-12/18
縄文人のなりわい展②
1/10-3/19
縄文人のなりわい展③
4/13-6/17
海辺のムラの環境と暮らし
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
3/12
上野動物園経由で日本動物園水族館協会による餌の支援を要請した
3/18
第一陣 乾草・ペレット類
3/26
第二陣 ペレット類・冷凍魚・猛禽用など
3/29
第三陣 ペレット類・ヘイキューブなど
4/4
第四陣 ペレット類など
4/13-4/15
サル山の仮復旧工事(ニホンザル)震災で亀裂のはいった岩山を崩し、ヒューム管や単管パイプをつないだものを設置した。復旧工事をしていた約3日間、ニホンザルたちは別の建物で3~4頭ずつに分けて飼育
サル山にサル戻る
4月23日に開園し(休園42日間)、23・24日の来園者数は約16,000人・再開日の4月23日(土)と翌日24日(日)の2日間は、入園料を無料とした
4/28
スマトラトラ「ケアヒ」公開
2/14-3/18
サル山改修
3/3
森の食堂再開
3/11
3月11日、当日の様子はこちら≫
*帰宅できない学生への対応(震災後5日間、6名交代制で泊まり込み)・学食冷凍庫の食材の炊き出し・学生の安否確認・保護者の対応・関係者の出入りの確認・トイレの管理*工芸館の業務・転倒したものを起こす・収蔵品の整理、片付け(段ボールに入れる等)
3/13
・次に工芸館に入ったのは 3月 13日学生2名、業者4名(日通美術品課2名、表具関係2名)
・3月 13日9:30に学芸員2名が目視で1、5、6階の被害確認。ヘルメットを着用し15-20分に1度建物から出るようにした
3/15
各種点検
3/17
各種点検
3/26
各種点検
3/29
各種点検
7/19
文化財レスキュー来館
9/9
文化財レスキュー来館
10/5-3/3
芹沢銈介の作品 四季を染める展
10/5
一部開館(1階のみ)
→学生の使う施設を優先的に改修するため、当初工芸館は1年間閉館の予定だった
4/4-7/7
北国の染織展
全館開館
3/11
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3/13
スタッフ1名が施設のブレーカーを下げるため出勤
3/14
スタッフ1名がセキュリティをリセットするため出勤
その際館長に近況報告
3/15
サポーター7名の安否確認終了。収蔵室の被害状況を記録
3/16
電気、空調業者が点検のため来館
3/24
館長が現場確認のため来館
3/25
常設展示の掛け軸を撤収
資料の避難優先順位を検討開始する
4/5
建物診断のため業者来館。(診断を依頼していたが、民間という理由で対応に時間がかかった)
4月に工事日程が決定。「七福絵はがき募金」による第1回目の寄付を頂いた12月19日に再開するため、逆算しながら再開までのスケジュールを決定した。梱包資材が全く入手できなかった時期に、サイトで被害状況を知った関西方面の関係者から梱包資材の提供を受けた
宮学生による支援プロジェクト
東北芸術工科大学の学生に博物館実習として資料の梱包整理を手伝ってもらった
12/19
再開
3/11
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3/12-3/14
脱出が困難であったため、文化センターへとどまる
3/15-3/31
施設閉鎖、市職員は避難所での物資輸送等を行う
3/15
施設引き払い
3/18-3/31
指定文化財・文化センターの資料安否確認開口部へトラロープを張る
ロビーに展示してあった資料を収蔵庫へ格納
文化財レスキューを受ける
全美へ教授要請
全国美術館会議から電話連絡があり、救援を要請
文化財レスキュー現地入り、活動開始。資料の修復・洗浄等
ボランティアによる瓦礫撤去
廃校となる予定の湊第二小学校の校舎を改修し文化財の仮保管場所とし、仮移転することを決定
取り壊し
随時、各施設に保管されている収蔵品を環境の整った仮保管施設(湊第二小学校旧校舎)に仮移転 ※現地復帰はなく、複合施設として再建することが決定している ※環境省から予算補助があり、被災建築物の解体撤去が決定している
3/11
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市役所への報告。避難者を指定の避難所へ移す
2011年5月5日のこどもの日のイベントのため、職員が主体となり館内の清掃・整理を行った。
県内外でのイベント参加販売
イベント前に100名ほどのボランティアにより主に外回りの清掃を行ってもらった。大型のがれきは陸上自衛隊が除去してくれた。
工事期間
修繕工事は原状復帰のため6億円
11/20
石ノ森萬画館は石巻の復興のシンボルでもあるので、11月に一度再開し、改修後、2013年3月に全面リニューアルオープンを行う
工事期間
リニューアル工事は展示品の更新などに1億4000万円
3/28
リニューアルオープン
3/11
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3/12
スタッフ1名を施設に残し、他のスタッフは防災センター(避難所)で勤務
3/14
支援物資保管場所として機能(展示室)
学芸員が数名戻る
電気復旧
3/15
物資を展示室から移動するためボランティアが来館
3/16
気仙沼の状況を記録すべく、自主的に「取材」として写真記録をとり始める
3/18
電話復旧
全国美術館会議から救助が必要か確認の連絡が来る
公務として記録調査を開始
3/23
公務としての写真記録調査を始める
4/6
空調復旧。しかし(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合組合から)許可が下りないため稼働せず
4/7
余震により空調が故障
4/10
再び空調復旧→(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合組合から)稼働許可が下りないため稼働せず
施設の構造設計者が来館。構造上問題なしと診断。土地勘のある市内各所を重点的に調査し始める
5/18
(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合組合から)空調の稼働許可が下りる。5/19 空調運転準備
5/20 空調稼働(収蔵庫、1階展示室)
5/23
(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合組合から)施設修繕命令
6/1
・記録調査活動に集中できない状況になる・5か年計画の資料作成
取材対応
10/1
修繕のための公式調査
11/1
復旧のための公式調査
着工
7/10
完成検査
7/28
一部再開
4/3
フルオープン
3/11
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3/15
通電に伴い電話、インターネットの復旧
3/18
水道復旧
3/21
電気復旧
3/26
専門家の被害確認
4/7
空調再稼働
4/10
大体連休前には再開できるだろうという目途。再開の10日前に決定
4/26-7/4
スタジオジブリレイアウト展
4/26
再開
8/3-8/7
全国高等学校総合文化祭
9/10-10/16
生きる力美の力店
10/29-12/4
帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展
詳細情報あり≫
4/14-5/20
五味太郎作品展
石巻文化センターで被災した作品を宮城県美術館に運んでの洗浄作業に参加
6/3-7/16
ベン・シャーン展
2011
3月
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