各館の出来事
仙台市歴史民俗資料館
1979(昭和 54)年 11月 3日開館
平成 12年度に建物の補強・改修工事を 経て平成 13 年度にリニューアルオープン
宮城県仙台市宮城野区五輪1-3-7(榴岡公園内)
ヒアリング調査:2012/10/24
面 積 | 敷地面積:671.34㎡(公園敷地 10.2ha) |
---|---|
建築面積:584.47㎡ | |
延床面積:1,271.37㎡ | |
構 造 | 木造、安山岩組構造 |
規 模 | 地上2階 |
年間来館者数 | 平成21年度 26,972人 平成22年度 26,521人 平成23年度 23,019人 平成24年度 32,855人 |
震災の被害について
建物の被害
漆喰塗りの壁(館内外)約200か所以上の亀裂
風除室(エントランス)ガラス一部破損
人的な被害
なし
資料等の被害
堤人形など約20点の被害
備品等の被害
ガラス製の移動展示ケース倒壊破損
施設管理に関するヒアリング調査まとめ
震災発生当日の様子
来館者:1名
スタッフ数:職員 8名(全職員 9名のうち、1人休み)、仙台市文化財課のアルバイト1名、 計9名
- 震災後数日にわたり、スタッフが館外・館内に分かれ、目視により被害状況を確認した
- 収蔵品、展示品の確認・整理(安全な場所へ移動させる)→収蔵品の修理は行わず、廃棄もしなかった
地震発生時の避難について
- 階段にいた来館者1名を外へ避難させる(1分も要せず)。その後他に館内の来館者の有無を確認し、スタッフも外へ 避難した。来館者は自主的に帰宅。職員で公園へ避難してきた方にお湯と敷物の提供
- 職員の帰宅方法の確認
- 17:00に職員帰宅
- 館内外で漆喰が多数剥落し、階段手すりが破断落下
- 施設が榴岡公園の中に位置しているため、公園利用者避難への対応のためにブルーシートを敷くなどし、一時的な 仮設の避難スペースとし、避難者の対応をした
避難時において、困った点
揺れがいつくるかわからず、建物のさらなる損壊も想定されたので建物内の状況把握ができなかった。
震災直後の様子 3月12日~3月末日までの期間
職員の業務
- 職員の安否確認
- 施設内(建築、設備、備品、資料など)の正確な被害状況の把握
施設再開まで
3月 12日~7月 8日 3月29日 4月12日 5月16日 6月18日 7月 9日 |
休館 建物診断(壁の剥離などがあり危険の為、「修理するまでは休館」の診断) 建築業者が来館 改修工事着工 引き渡し 再開 |
---|
- 壁面の漆喰が特殊なものであるため、入手に時間がかかった
- 工事工程表をもとに 7月 9日に再開することを決定した
改修工事以外の復旧業務
- 宮城野区高砂の向田文化財整理収蔵室(歴史民俗資料館と同規模)と泉区根白石(公民館を再利用)にある収蔵庫の確認、整理
- 歴史民俗資料館としてボランティアへ行くことはなかった
復旧支援など、協力者の来訪
市民文化事業団の新規採用職員3名が研修を兼ねて1週間程度、根白石の収蔵庫の整理などの支援にあたった。
震災前に利用していた市民や活動団体との連絡
特にないが、来館者が掲示を見て閉館していることを確認する姿は見られた。
施設再開後
来館者への災害対応における留意・確認点
- 震災時のスタッフの役割分担を重点的に見直した
- 避難誘導の際の意識が変わった
管理・運営方法で震災前と変更した点
震災前から本棚を固定する等の対策は行っていたが、棚の上部だけを固定していたため、震災時は棚の下部が動き、本が落ちたので、その部分を固定したり補強したりするようにした
利用状況で変化した点
小学校の団体来館が急増した。来館者の55%は小学生で、2011年度は計102校の小学校が来館した。
その他
地域との関係において震災前後で変わった(変えざるをえない)点は?
被災者からの資料の問い合わせや寄贈が増えた。
地域におけるミュージアムの役割が震災前後で変わったと感じる点は?
このような施設の存在意義や必要性を再認識する機会となった。
事業・企画に関するヒアリング調査まとめ
震災当日から施設再開まで
震災前に利用していた市民や活動団体との連絡
- 建物の被害を心配されて様子を見に来た一般の方もあった。
- 資料寄贈や調査研究などで連絡のある方や例年実施しているイベントの協力者などには被害状況や復旧の見込みなどに関しての連絡を不定期ながらとっていた。
施設再開後
新たに震災関連の企画を立案・実施したもの
震災以前の沿岸部の暮らしについて常設展に追加する計画を立てている。
復旧の過程で、震災前から関係のあった団体等からの支援
- 仙台市博物館や仙台市史編さん室、宮城歴史資料保全ネットワーク(NPO法人)などと協力し、被災地の文化財等の 現状確認を行い、必要に応じて歴史資料の保全活動(資料のレスキュー)を行った
- 京都大学人文科学研究所近代古都研究班〔代表高木博志氏〕から寄付の申し出があった
その他
企画立案・運営方法について、震災後の課題
震災そのものを対象とする企画展は難しいが、震災前のくらしの様子などを常設展で紹介できるようにしている。
3.11 を体験した文化施設関係者として、未来に向けて残すべきもの
以前から昔のくらしにみられた知恵と工夫について紹介する施設だが、震災で電気やガス、水道などを自由に使えない経験をしたことで、かつてのくらしにあった知恵と工夫をより意識するようになった。それなりに豊かなくらしを支えた過去のくらしの知恵と工夫を将来に伝えていきたい。
地域におけるミュージアムの役割が震災前後で変わったと感じる点
- 歴史と現在とのつながりをより広く知らせる必要があるという点。たとえば地震や津波への備えを説いた言い伝えによって守られた命もあるが、震災以前に実感をもって理解していた人は少なかったのかもしれない。歴史から学べることを伝えていくことが必要。
- 震災後の片づけなどの中で、それと気づかずに古文書や古写真などを処分してしまったという話を聞くこともあった。それぞれの家に残されている物の中には、地域の歴史を物語るうえで重要な資料となるものもあるかもしれない。たとえ古くて汚れが目立つものであったとしても大切な情報があるかもしれないということを折にふれて広く知らせておく必要をより強く感じる。
調査について
- 被災地に行った方や被災家屋の取り壊し現場からの情報を元に調査に行くことも多く、イベントでお世話になった方を頼りに現地調査に行ったこともあった
- 被災地の調査で新しく歴史民俗資料館の資料として寄贈していただいたものもある。被災家屋の解体現場で資料の寄贈をお願いすることもあった。寄贈品は歴史民俗資料館の資料として保存している
- 震災以前に地域にどのような資料が残っていたかなどの情報は、震災直後には十分に把握できず、市民センターのように地域と密接な関係のある施設との前々からの連携の必要性が意識された
- 被災地での調査は、以前から資料の保全活動に積極的に取り組んでいた宮城歴史資料保全ネットワークとの連携もあり、今回は比較的、迅速に調査を行うことができた
その他の所感(今回の震災を受けて)
歴史民俗資料館は明治7年建築の旧陸軍兵舎で仙台市の有形文化財に登録されているが、開館直前の昭和53年に宮城県沖地震があり、その時の被害も修繕され、耐震補強の工事が施されていたために今回の震災での被害は最小限に抑えられたのではないか。