各館の出来事
地底の森ミュージアム
仙台市富沢遺跡保存館
1996 (平成 8)年 11月開館
宮城県仙台市太白区長町南 4-3-1
ヒアリング調査:2012/11/07
面 積 | 敷地面積:14,263 ㎡ |
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延床面積:2,743 ㎡ | |
構 造 | 鉄筋コンクリート造 |
規 模 | 地下2階、地上1階 |
年間来館者数 | 平成21年度 36,306人 平成22年度 34,546人 平成23年度 23,016人 平成24年度 32,468人 |
震災の被害について
建物の被害
地下展示室の樹木の支持体の崩落
吊り天井の損傷
「氷河期の森」にある桟橋の損壊
人的な被害
なし
施設管理に関するヒアリング調査まとめ
震災発生当日の様子
来館者:1名
職員:6名 受付:3 名 清掃:3 名 警備:2 名 合計13名
震災発生当日の施設閉鎖までの経緯
地震直後に閉鎖。
避難時において、困った点
停電によって地下施設が見えなくなり、確認ができなかった。また地下隔離壁の水位や温湿度の管理ができなくなった。
震災直後の様子 3月12日~3月末日までの期間
地震発生当日に普段の用途と変えて使用した部分
3月15日まで避難所として利用された (指定避難所ではないので物資の配給などはなかった)。
職員の業務
- 仙台市から仙台市市民文化事業団への要請で、少人数ではあるが長い期間館外での応援勤務が続いた
- 応援勤務の内容は被災者向けの罹災証明発行業務や他避難所での応援業務
施設再開まで
6月13日 仙台市から再開許可
6月14日 再開
改修工事以外の復旧業務
企画展の日程変更による準備・調整。
復旧支援など、協力者の来訪
4月14日 専門家による被害調査。
- 休館中ではあったが、小学 5 年生 100 名ほどの見学を受け入れる
- ボランティアの募集(震災以前から)
再開までの復旧過程で参考とした資料及び事例等
遺跡部分の樹木の保存処理などについて既存事例を参照した。
施設再開後
利用状況で変化した点
秋田・岩手・山形など周辺の県からの利用者が激減した(特に秋田はほぼ ゼロになった)。 逆に被災地(宮古や福島など)からはよく来ている。
その他
管理・運営方法で震災前と変更した点
連絡が取れない状況での対応については、考えなくてはいけない点である。
地域との関係において震災前後で変わった(変えざるをえない)点
避難所になりうる施設であることを認識してもらえたと思う。地域とより密接な施設でありたいと感じるようになった。
事業・企画に関するヒアリング調査まとめ
震災当日から施設再開まで
3.11 から再開までの期間、職員の業務
- 全職員8 人中の 6 人が勤務中であった
- 施設、遺跡の被害確認を行いたかったが、展示室が地下のため、電気が止まっているうちはできなかった
→電気復旧後に被害確認 - 応援業務の要請は基本的になかった
再開に向けた準備以外に、復旧に際する業務
企画展の修整・変更業務。震災前に準備していた「春の企画展」がずれ込み、調整を行った。
復旧支援など、協力者の来訪
ボランティア団体や学校関係者からの連絡が多かった。
→縄文の森と連携しながら、閉館中も外で可能な利用学習(石器を作るなど)を行った
再開当日、使用者や来館者の様子から特に感じたこと/市民(活動団体含む)から、寄せられたメッセージ
- 来館者と直接触れ合う機会がないため正確には把握しにくい
- 4 月の早い時期から再開時期の問い合わせが来ていた
→問い合わせは非常に多かった。県内にとどまらず県外からも多かった (珍しい施設のため学校の校外学習や、ツアーのコースなどにも入っていることなどが要因として考えられる)
市民の利用状況で変化した点
- 県外の利用者が激減した。日本海側の学校の修学旅行などが減った。特に秋田の学校は殆どなくなった
- 震災の被害というよりも原発問題が原因ではないかと考えている
- 4~6月は修学旅行シーズンで、例年はその期間の利用者が多いが、当時ちょうど閉館期間に重なったため来館できなかった学校が多い。一度関係が切れるとなかなか戻ってこない。その一方で相馬市や福島市からわざわざ来てくれる学校もあった
使用者への災害対応における留意・確認点
- 市民文化事業団より避難経路の表示、余震注意などを表示するよう指示があった
- 職員間では利用者に対する気配りが少し変わった(避難経路の確認や危険予知など)
- リアリティのあるマニュアルの作成の必要性を感じた
- 節電対策でエコ電球への交換、エアコンの稼働を減らすなど、節電はできる限り実行している
施設再開後
震災前に企画していた事業等の中で、震災を受けて会期を変更したもの/企画に盛り込んだ震災の視点等
4~6月に予定していた企画を秋に変更し、秋の企画を冬に変更して実施した。もともと決まっていた企画なので、あえて震災を盛り込むことはしなかった。
新たに震災関連の企画を立案・実施したもの
歴ネット加盟館の被害状況のパネル展を行った。
復旧の過程で、震災前から関係のあった団体等からの支援
直接的支援は特になし。日本博物館協会、奈良文化財研究所などから問い合わせはあった。
震災後新たに関係(ネットワーク(国内外問わず))を有した団体
4月後半に被害状況を専門家に見てもらう会を開いた。
その他
管理・運営方法で震災前と変更した点
地下展示を見越して、補強・見直しなどは行っている。
震災を体験した文化施設関係者として、未来に向けて 残すべきもの
閉館中の問い合わせなどの多さから、文化施設を守っていくことの大切さを感じた。4月の早い段階で「今それどころではないのでは?」というタイミングでも問い合わせを受けたことなどから、人々の生活に文化施設が必要とされているということを感じた。この経験を後世に残すということも必要不可欠なこと。
地域との関係において震災前後で変わった(変えざるをえない)点
地震直後、避難所ではないが地域の人々が集まってきた。当館がいざという時に集まる場所として市民に認識されていたことを初めて実感した。
地域におけるミュージアムの役割が震災前後で変わったと感じる点
いつでもやっているということが大切である。より身近に感じてもらえる施設であるためにこれほど重要なことはない。