各館の出来事
宮城県美術館
1981(昭和56)年 11月 3日開館
宮城県仙台市青葉区川内元支倉 34-1
ヒアリング調査:2012/11/27
面 積 | 敷地面積:34,531.81㎡ |
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建築面積:5,915 ㎡ | |
延床面積:12,130 ㎡ | |
構 造 | 鉄筋コンクリート造、一部鉄骨鉄筋コンクリート造 |
規 模 | 地上 2 階・地下 1 階 |
年間来館者数 | 平成21年度 247,850人 平成22年度 124,497人 平成23年度 267,146人 平成24年度 203,680人 |
震災の被害について
建築的な被害は比較的軽微な内容であった。屋外広場、テラス部のタイルの割れ・ズレや段差の発生等で、屋内は、展示ケー スのガラス破損以外に大きな損傷はなかった。宮城県美術館は設計段階に宮城県沖地震(1978年)が発生したため、構造設計を見直し耐震強度を向上させた経緯がある。また美術館自体が強固な地盤に立地していたことも被害が小さかった要因の一つである。
収蔵品については、収蔵棚にナイロンバンドを付けるなどの地震対策がされており、被害はなかった。他方、特別展(アートみやぎ)へ展示中だった5作品(立体)が破損するなどの被害が確認された。
建物の被害
展示室 1・3 教育普及部東側のテラス 屋外階段タイル エントランス等 展示室内の天井ルーバー ルーバー留め具 本館エントランス記念館玄関外天井 GRC 板 展示室出入り口防火扉 記念館 1階ロビー排煙口 展示室県民ギャラリー可動壁 建物周辺タイル 内壁 外壁 |
固定展示ケースのガラス破損(総幅 20m) 沈下 剥離 照明カバー落下(1箇所) ズレ 落下 ズレ ガイドレールから脱線(1箇所)、錠前破損 破損 ズレ 欠損、ひび割れ、段差、盛り上がり等の発生 ひび割れ(各所) 歪み |
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人的な被害
なし
作品の被害
特別展「アートみやぎ2011」クレイワーク作品(粘土の素焼き作品) 落下・大破
特別展「アートみやぎ2011」映像作品用プロジェクター 落下・損傷
備品の被害
創作室:マップケース 展示室 :温湿度計 展示室:スポットライト 倉庫:スチール棚 事務室:テレビ |
転倒破損 落下破損(1台) 落下破損(1台) 倒壊 落下破損(1台) |
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施設管理に関するヒアリング調査まとめ
震災発生当日の様子
来館者:約30~40名 スタッフ数:約40名程度 合計80名程度
地震発生時の避難について
揺れが収まってから5分以内に中庭に避難した。停電になっていたが自家発電は機能していた。状況を判断し閉館することになった。周辺の橋の安全を確認し、来館者へ伝達し帰宅を促した。宮城県の災害時対応マニュアルにより、当日から職員は警備対応のために24時間の宿直体制をとった。近隣の住民や、学生等で自宅に戻れない人への対応のため、1日だけ緊急の避難所として施設を提供した。
震災直後の様子 3月12日~3月末日までの期間
職員の業務
- 作品の保全作業。3月20日くらい(10日ほど)まで
- 余震が頻発したため、作品の保全と固定作業、清掃等を美術館の職員だけで対応
- 停電と余震のため階下の収蔵庫まで移すエレベーターが使えず、各展示室内の安全な場所を選んで作品を固定
- 予定していた企画展などの事業の対応を、本庁所管課と調整しながら検討
- 県の営繕課及び建築の設計事務所と施工会社の担当者が被害状況を確認し、点検、修繕箇所を検討
- 外部への支援は基本的に要請しなかった。全国美術館会議等から支援の打診はあったが、自分たちで対応した
- 4月7日の余震でガラスケースが破損
施設再開まで
- 公共施設であり、専門家の点検による安全確認を再開の前提とした
- 当時の館内には、開館できる状況であればできるだけ早期に開館するようにという雰囲気があった
- 目立った被害がなかった佐藤忠良記念館、創作室は5月1日に開館。再開を決めたのは4月上旬~中旬
- 本館は、エントランスの天井部に被害があり、足場を仮設しての安全点検を終えた8月2日から全面再開した
- 当面の展示、利用者の動線に関係しない部分の修繕工事、点検作業は年末、年度末まで持ちこした
職員の業務
- 4月の中旬の時点で収蔵庫に作品を全て収納
- 各方面への被害状況の調査と報告、修繕計画の作成
その他
- レストランとコーヒーショップ委託業者の撤退が決まり、新規業者の公募が必要となった
- ガラスケースの破損により、飛散防止用のガラスへ変更するための調整に手間取った
- 空調については、当初の建築断熱性が高いので、数日間空調が止まったが大きな影響はなかった
- 部分再開時の動線計画やゾーニングは難しいところがあった
作品の展示方法について
- 予想される宮城県沖地震の対応を以前から行っていたので大きな変更は少なかったが、可動壁は確実に固定するようになった。ワイヤーのフックなどは以前からロックがついたものを使用する等の対応を行っていた
- 免震台は彫刻などの展示に非常に有効であった。横揺れだった点が大きい。彫刻も以前からボルト固定し、台座にはウエイトを入れて重心を下げていた
- 収蔵庫の収蔵の仕方も以前から柱に縛り付けていたように、或る程度は対応できていた
- 天井のルーバーも安全対策を実施していたので、落下には至らなかった
施設再開後
貸し出しスペースに対して
県民ギャラリーなどについての安全管理をそれほど変更した部分はないが、設定法や避難誘導への心構えが変わった。
利用状況について
再開後来館者の数は多い。被災地への対応として、海外の館もサポートしてくれるような支援があったので、結果として来館者が増えている。再開の日は開館前に開場を待っている人がいた。確実に必要とされていることを実感した。
作品を実際に見に来て、状況の確認や地震の質問をする人が多かった。創作室の利用者などは再開に関して気にかけてもらったと思う。地震直後から問い合わせが多かった。
その他
美術作品の保全に、梱包材料が大量に必要であったが、以前から備蓄していたので対応できた。
事業・企画に関するヒアリング調査まとめ
震災直後の様子 3 月 12 日~3 月末日までの期間
職員の業務
- 予定していた企画展などの事業の対応を、本庁所管課と調整しながら検討
施設再開まで
職員の業務
- 中止した事業の事務処理、再開後の事業の計画と準備
- 文化財レスキュー活動への参加
文化財レスキューとの関わり
- 文化財レスキューは石巻文化センターを対象としたので、宮城県美術館も拠点として機能した
- 美術部門を担当し、応急処置と一時保管場所を提供した(地域内の機関が、歴史、考古、民俗、自然など各々の専門分野を分担)
- 1週間くらいの単位で全国の美術館から学芸員が集まり対応。
- 津波の海水や汚泥で被災した作品のレスキューは非常に難しかった
その他
事業企画面の課題
- 原発の問題もあり、海外から日本への作品の貸し出しが難しくなった
- 海外の美術館や職員によっても温度差がある。逆にこういう時期だから作品の貸し出しで支援したいという申し出もあった。展覧会だけではなく、作品移動のルールも厳しいものがあった
- 作品の寄贈者など、協力者への情報提供を積極的に行った
※文化財レスキュー事業の期間は2年に延長(文化財レスキュー事業は当初は1年の予定)され、文化財レスキュー関連の委員会などは2012年度で終了する
震災に関する企画の立案
今すぐというわけではないのだが、将来的には考えていかなくてはならない。外部からいろいろなリクエストもあるが少し時間が必要だ。
震災前後で学芸員の意識として変わったこと
風景観が大きく変わった
阪神・淡路大震災以降に文化財レスキューが立ち上がったが、 今回の東日本大震災において新たに考えられること
先ずは津波対策。それから今回の場合、原発事故のリスク対応で作品を施設から避難させる必要が出た場合、全ての作品を移動できない時に、どの作品を残しどれを移動させるか、どこに動かすかという非常に難しい判断に迫られたであろう(美術品のトリアージは可能か)。今後も、館同士の連携、個人(学芸員)の連携が必要だと思われる。
全国美術館会議の災害マニュアル
現段階は館毎に策定しているのが現状。ただ阪神・淡路大震災の際は、どのようなことが起きたかを詳細な記録を作成し、そこから各館の担当者が学ぶという姿勢。高知県立美術館の水害などの例も今回の文化財レスキューに役立っている。津波対策として、施設移転は難しいが、収蔵庫等の設備のグレードを上げることで作品の保存を図ることができると考える。
修復のあり方
災害によってもたらされた被害の跡は残すべきであるという考え方もある。傷を残すことは物語でもある。作品の来歴が大事である。
作者が現存する場合は修復のあり方
作家に判断を委ねて新しい作品に改変してしまうのか、その作品のオリジナリティーを第一と考えるのか、先ずは所蔵者の考え方である。美術館は、オリジナルの状態を可能な限り残して鑑賞可能な状態に戻し、直したところがわかるように修復するというルールに則って対応してきた
その他
- 文化財レスキューできていた学芸員の何人かは、災害派遣で来県したスタッフもいた。警察や消防の派遣と同様の扱いになっていたスタッフも居て、美術館などの文化施設の復旧支援が以前よりも公的な意味を持つようになったのかもしれないと感じた
- 文化財は希少価値の高い(市場価値のある)ものなので、展示室や収蔵庫のセキュリティーと同様に、修復作業場所や仮保管場所の情報管理も必要だった