SMMA SENDAI MIYAGI MUSEUM ALLIANCE 仙台・宮城ミュージアムアライアンス

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学芸員質問箱 〜回答編〜

2019年12月14日(土)、15日(日)の2日間にかけて開催したミュージアムユニバース。SMMAに参加しているミュージアムが、トークや体験、展示など、それぞれの「とっておき」とともにせんだいメディアテークに大集合しました!
中でも、「学芸員質問箱」のコーナーでは、会場内の質問箱にお寄せいただいた、ミュージアムにまつわる小さな(しかし深い)疑問のあれこれに、SMMAを代表する6名のスタッフが直接お答えしました。お寄せいただいた質問は全部で38通。今回のレポートでは、当日会場でお答えした質問を含め、その他の質問についてスタッフが追加で回答しましたので、ご紹介します! ぜひ最後までお読みください。

 

■せんだい3.11メモリアル交流館  交流係 飯川晃さんの回答はコチラ
■スリーエム仙台市科学館 指導主事(学芸員)  大津秀穂さんの回答はコチラ
■仙台市縄文の森広場 学芸員 佐藤祐輔さんの回答はコチラ
■仙台市博物館 学芸員 佐々木徹さんの回答はコチラ
■東北大学総合学術博物館 助教 小川知幸さんの回答はコチラ
■東北大学総合学術博物館 技術職員 鹿納晴尚さんの回答はコチラ

 

〜せんだい3.11メモリアル交流館  交流係 飯川晃さんへの質問〜
 

■質問1 いのちは何色だと思いますか?
いのちの色が見えるためには、「いのち」が、人の目が知覚できる光を放っている必要があります。色とは、光の反射、もしくはそれ自体の発光のうち、人間の目というフィルターを通して目の奥にある細胞がキャッチした色の信号を、神経物質が脳へ伝達して認識しているわけです。これが前提です(ちなみに、人に見えない色を認識している動物はいます)。
個人的な見解を申し上げてよろしければ、「いのち」に色はありません。何故なら、命が失われた瞬間に、失われた「いのち」の色を私たちは認知することができないからです。もしかしたら、人の目には認識できない色があるのかもしれません。ですので、もう少し正確に申し上げるならば、いのちの色は、目には見えない色、と言えるのではないでしょうか。
仙台市沿岸部では2011年に多くの命が失われました。そしてその土地で、また新たに人を迎え入れる活動をしている人もいます。いのちの色を知るために、いらしてみてはいかがでしょうか?

 

■質問2 なぜ死があるのでしょうか。
科学は専門ではありませんが、これは案外説明がしやすいかもしれません。「死」の反対の概念が「生」だということが了解できるならば、作用・反作用の法則から考えて、「生があるから死がある」と考えられると思います。そう考えると、なぜ死があるのかを考えることは、なぜ生があるのかを考えることにとても似ていると言えますね。宇宙の神秘を解き明かす姿勢につながる、とても重要な問いだと私は思います。

 

■質問3 松島水族館の血を引き継ぐ仙台うみの杜水族館に乗り入れの電車は何年後にできると思いますか。
うみの杜水族館を含む仙台港後背地と呼ばれる一帯は、実は平成2年から宮城県が行っている土地区画整理事業の対象エリアになっていて、平成23年に発生した東日本大震災によって計画の見直しを行いながら、現在もその計画は進行中です。それを見ると、住宅や商業施設、文化施設、工業施設などの配置が具体的に割り当てられており、また水族館のすぐ近くには高速道路のインターチェンジもあることから、乗り入れ電車については少なくとも今後30年ほどは計画は無いと考えられます。しかし、その後には計画があってもいいかもしれませんね。

 

■質問4 せんだい3.11メモリアル交流館の仕事内容を教えてください
当館には、大きく分けて2つの使命があります。1つは「東日本大震災を伝えていくこと」、もう1つは「仙台市東部沿岸地域の文化を伝えていくこと」です。この使命を達成するために、年に3回ほど内容を入れ替えながら企画展を開催しています。また、世界中から来館するお客様の館内ガイドをしたり、沿岸部の地域情報の提供、道案内もしています。そのほか、「メモリアルソーダ」などグッズの販売や、季節のお楽しみイベントも開催していますので、ぜひ遊びに来てみてください。

 

*飯川さん、ありがとうございました! せんだい3.11メモリアル交流館の情報はコチラからご覧ください。

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〜スリーエム仙台市科学館 指導主事(学芸員)  大津秀穂さんへの質問〜
 

■質問1 何十年前に学校の理科の先生に、「人の体にも目に見えないくらいの虫(?)はたくさんいるんだよ!」と言われました。本当ですか…。本当であれば…おそろしいですね…。
本当です。人間のからだには、菌類や細菌類といった微生物がたくさんすんでいます。でも、これはおそろしいことではありません。これらの微生物は、私たちにとって有害な微生物が体内で増えるのを防いだり、食べたものの消化を助けたりしてくれます。もしかするともっとも身近な生物といえるかもしれません。

 

■質問2 目の見えない人でもできるおもしろい実験はありますか。視覚障害のある子に科学のおもしろさを教えたいです。
あります。科学館では視覚支援学校の生徒向けの実験学習を行っています。たとえば、いろんな動物のはくせいに触れてみて特徴を調べたり、振動しているものに触れて音との関係を調べたりすることができます。そもそも科学は目に見えないものを調べる方法を工夫することで発展してきました。

 

■質問3 仙台湾でリュウグウノツカイはとれますか。泳いでいるところが見たいです。
とれるかどうか分かりません。まれに日本でも漁業用の網にかかったり、海岸に打ち上げられたりすることはありますが、例は少ないです。生きたまま泳いでいる姿を見たことがある人はもっと少ないはずです。本来、陸に住むわれわれと深海に住む彼らは、お互い出会うことなく一生を終えます。泳いでいる野生のリュウグウノツカイに出会うためには、深海調査船のようなものでこちらから出向くしかないかもしれません。

 

■質問4 科学館の方なのに学芸員の資格を持ってらっしゃいますが、なぜ取ろうと思ったのですか。また、なぜ科学館で働こうと思ったのですか。
仙台市科学館は登録博物館のひとつなので、学芸員の資格を持った職員が何名かはたらいています。価値があると思えること(私の場合は理科、自然科学)を人々に紹介したいと考えて学芸員の資格を取得しました。私は仙台市の職員なので、科学館ではたらきたいという希望によるものというより、転勤によって科学館に配属されています。

 

■質問5 テストのとき、実験で見た通りに答えをかいたのにバツになりました。どうしてですか。
言葉とは不完全なコミュニケーション手段です。そのため、テスト問題では出題者が意図を十分表現できず、ナチュラルにミスリードを誘うことがあります。つまり出題者が問うたことに回答者が回答しておらず、しかもこのことに出題者も回答者も気づいていないため生じた事象である可能性があります。あるいは、行った実験に(教科書的な内容に照らし合わせて)不備があった可能性があります。

 

■質問6 嫌いな人のあくびはうつらないって本当ですか。
本当かどうか分かりません。そもそもあくびがうつるのかどうかについても十分な根拠があるとはいえません。一方、共感によって行動が伝播するという考えがあります。この考えを支持すると、親しい人のあくびより、嫌いな人のあくびはうつりにくいかもしれません。

 

■質問7 イヌは品種によって体の大きさに差がありますが、イエネコは種による体格の差がなぜ少ないのですか。
イヌ、ネコはもともとは野生の生物ですが、飼い慣らされ、実用的な動物(またはペット)としてさまざまな交配が行われて現在の品種に至っているのではないかと思います。そのため、イヌにくらべて人間に飼われている歴史が浅く、また、狩猟などのハードな役目が与えられないネコは品種による差が少ないのかもしれません。とはいえ、アメリカ メイン州の州猫メインクーンという品種は1mを超えるほど大きくなるそうです。

 

■質問8 スリーエム仙台市科学館にしかないものはありますか。
仙台市科学館では、宮城・仙台といった地域で見られる自然についての資料を収集・展示しています。たとえば、仙台では昔のゾウの化石が発掘されており、このことから仙台市科学館ではゾウの標本を複数展示しています。これは仙台市科学館にしかないもののひとつです。昔、仙台に野生のゾウが生息していたなんて不思議な感じがしませんか?

 

■質問9 最近の人の死体は腐りにくいと聞きました。それは本当ですか。防腐剤の入ったものを食べるからですか。
最近の人が昔の人に比べて腐りにくいかどうか確かなことは分かりませんが、防腐剤が入った食物を食べることによって、食べた人のからだそのものが腐りにくくなるということありません。ちなみに、ノルウェーのロングイェールビーンという町は人が住む最北端の町で、非常に寒いため菌類・細菌類の活性が低く亡くなった人が腐らず、土葬によって土に還ることがないらしいです。

 

■質問10 「ニホンオオカミ」は絶滅したのでしょうか、生存しているのでしょうか。
野生種について絶滅を確認することは難しく、日本では50年間生息が確認されない場合、絶滅と考えることにしています。ニホンオオカミについては、最後の生息情報(1905年,奈良県)から100年以上確実な生息情報がなく、絶滅種と考えるのが妥当です。仮に、少数ながら生存していたとしても、人の目に触れず静かに暮らしていてほしいと思います。

 

■質問11 「シダレ桜」や「シダレ柳」はなぜしだれるのでしょうか。
地球の重力に逆らって枝を張るために、植物によっては枝の断面の上半分を発達させることで、枝そのものを引っ張り上げています。本来、サクラもこのようにして枝を張るのですが、「枝垂れ桜」は何らかの理由により枝の断面の上半分が発達しなかったもので、重力により枝が垂れています。

 

■質問12 いつ、どこへ行けば雪虫をたくさん見られる可能性が高いですか。
10-11月ころ、北海道のトドマツが生えているところでたくさん見られる可能性が高いと思われます。雪虫と呼ばれる昆虫は複数種いるのですが、そのうちのひとつにトドノネオオワタムシという昆虫がいます。「トドノネ」とはトドマツの根のことで、夏~秋にトドマツの根で繁殖し、晩秋~初冬の頃に雪のような姿で飛び立ちます。ちなみにトドノネオオワタムシはアブラムシのなかまです。

 

*大津さん、ありがとうございました! スリーエム仙台市科学館の情報はコチラからご覧ください。

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〜仙台市縄文の森広場 学芸員 佐藤祐輔さんへの質問〜
 
■質問1 縄文時代は虫歯になるとどうしていたのでしょうか。
縄文時代の人たちも現代人と同じように虫歯になっていたことが出土した人骨でわかっています。たくさんの人骨が出土した富山県小竹貝塚では、38.7%の人骨に虫歯がありました。治療したあとはないので、虫歯になったらそのままだったのでしょう。ちなみに虫歯が多くなるのは、でんぷん質の食事をとるようになってからですので、縄文時代から食べるようになったクリやドングリなどが虫歯の割合を増やした原因でしょう。

 

■質問2 考古学のどんなところが好きですか。
遺跡は1年間に全国で約9,000件ほどが新たに発掘されています。ということは、その分の遺跡の情報が研究対象として日々新たに手に入ります。コロコロ言うことが変わる「不思議な」学問だとよく言われますが、新しい資料を元にして新しい研究成果を発表できるのは、考古学の最高の楽しみです。そこに「偉い」とか「素人」などは関係ありません。誰でも、資料をもとに新しい歴史を語ることが可能な学問です。

 

■質問3 (質問2を受け、)今までで一番楽しかったこと、驚いたことはありますか。
初めて発掘した時の感動は忘れません。遺跡の発掘というと、エジプトのピラミッドなどを思い出される方が多いと思いますが、何も派手な発見だけが発掘の醍醐味ではありません。土の中から出てきた小さな土器や石の欠片にも、それを作り使った人たちの「歴史」があります。初めての発掘で「紡錘車」という弥生時代の道具が出てきたとき、その遺跡の中で糸を紡ぐ女性の姿を想像して、その瞬間に2,000年前の匂いを感じることができました。人生初めての発掘。もう二度とできないですが、一番の思い出です。

 

■質問4 学芸員に必要な心構えを教えてください。
私が思う一番の心構えは、自分が扱う資料を誰よりも好きになることだと思います。自分が好きなものって、人に自慢したり、知ってもらいたくなりますよね。その一番好きなものの魅力を、どうやったら他の人にわかってもらえるか?を、いつも考えることができて、実践できるかどうかだと思います。それを好きになれないと、何か壁に当たった時に、すぐに諦めたり、発信するのをやめたりしてしまいます。学芸員だけでなく、ほかの仕事にも当てはまる気もしますが・・・。

 

*佐藤さん、ありがとうございました! 仙台市縄文の森広場の情報はコチラからご覧ください。

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〜仙台市博物館 学芸員 佐々木徹さんへの質問〜
 

■質問1 歴史が好きでよく白石城や青葉城に行くのですが、「ここは絶対に見るべき!」という場所や「こういう風に見ると楽しい」という見方などを教えてください。
仙台城について言えば、石垣や建物の礎石、現存唯一の建築物である大手門北側の土塀など、往時のすがたを偲ばせる江戸時代の遺構をはじめ、本丸跡の伊達政宗騎馬像や市街地の眺望などが外せない見どころだとは思いますが、個人的にオススメなのが、本丸跡から見える経ケ峯です。経ケ峯は伊達政宗の墓所・瑞鳳殿(青葉区霊屋下)がある丘陵で、政宗が死ぬ一カ月ほど前、自分の遺骸はここに埋葬するよう言い残したとする伝えのある場所です。市街地を眺望した時、少し右側を眺めてみてください。その丘陵の崖面が見えるはずです(花壇自動車学校と広瀬川の向こう側です)。実は江戸時代の絵図や現在の位置を確認すると、瑞鳳殿は仙台城本丸の方向を向いており、あたかも仙台城は政宗に見守られているかのような状況にあったことが分かります。瑞鳳殿の建物自体は見えませんが、仙台城本丸跡から経ケ峯を眺め、政宗と心を合わせるというマニアックな楽しみ方もあるのではないでしょうか。

 

■質問2 以前、仙台の歴史が知りたくて仙台市博物館に勉強に行ったのですが、政宗以前の仙台について、とくに中世〜古代、青葉山周辺に、どんな人が暮らしていたのかがよく分からなくて気になりました。中世には寺院が建っていたと聞いたことはあるのですが、かつての人々にとって青葉山は信仰の対象になっていたのでしょうか。
確かに中世の青葉山は、信仰の場であったと思います。江戸時代の伝承では、竜川院・大満寺・寂光寺・長泉寺などといった寺院があったと言われており、また仙台城の築城以前には千体仏(せんたいぶつ、多数の同型の仏像を彫刻ないしは描いたもの)が安置されていたとも言われています。さらに、板碑(いたび)と呼ばれる石造の供養塔が造立され、例えば東北大学植物園内には鎌倉時代の大型板碑が2基現存しています(1つは高さが4m近くあり、市内最大の板碑となっています!)。こうしたことから、中世の青葉山には、僧侶などの宗教者が住んでいたり、そうした人々が深く関わる場所であったとは言えるように思います。ちなみに青葉山の千体仏は、地名「せんだい」の由来(千体→千代→仙台)になっていると江戸時代の記録にあり、青葉山はまさに仙台の歴史を象徴するような場所であったとも言えるでしょう。

 

■質問3 仙台の地名の由来にアイヌ語説があるそうですが(センダイ→セプナイ)、どのように思いますか。
質問2で千体仏説を挙げましたが、それ以前に「せんだい」と呼んだ原音があったのではないかとして幾つかの説が挙げられてきました。その1つがセプナイ(広い川の意)に由来するとみるアイヌ語説です。それ以外にも、川に囲まれた山の手を意味する川内(かわうち・せんだい)から来たとする説(鹿児島県薩摩川内市の川内川が一例)、朝鮮語のゼングダングイ(霞野の意)から来たとする説があるようです(菊地勝之助『宮城県地名考』宝文堂、1970年)。いずれも興味深い説ですが、いまだ確証は得られていないと思います。しかし、記録の空白をあれこれ想像してみるのも歴史研究の醍醐味だろうと思います。

 

■質問4 呼称「四ッ谷用水」「四ッ谷堰」「四ッ谷堰用水」どの名称が正しいのでしょうか。宮城県工業用水道事務所郷六取水口には「四ッ谷堰用水」と書いてありました。
いわゆる四ッ谷用水の名称については、さまざまな議論があります。今回のご質問の場合、狭義に考えれば「四ッ谷堰」は主に取水口の部分、「四ッ谷用水」は主に引き水の部分に力点を置いた名称となるでしょうか。「四ッ谷堰用水」はそれらを総体的に表した名称なのでしょう。こうした中で参考になるのは、四ッ谷用水が開削され、使われ始めた江戸時代にどのように呼ばれていたかにあるのだろうと思います。その一例として、「寛永四年、四ッ屋御堰堀御取立に付、惣兵衛儀御普請奉行被仰付、同六年に出来之上、・・・」という記録があります(『仙台藩家臣録』3、歴史図書社、1978年)。これは、寛永4年(1627)に四ッ谷用水の普請奉行を命じられたとされる仙台藩士宇津志惣兵衛に関する延宝5年(1677)の記録で、ここに「四ッ屋御堰堀」と記されています。水が流れる堀は、用水に類する語とも言えますので、これは「四ッ谷堰用水」に近い表現とも考えられます。江戸時代の資料をもっと精査すれば、恐らく「四ッ谷堰」「四ッ谷用水」(あるいはそれに類する語)も使用されていた可能性が考えられますので、どれが正しいかとは一概に言えず、当時すでにさまざまな表現が用いられていた、ということが実態に近いのではないでしょうか。

 

■質問5 律令国家が建設した「東山道」多賀城国府に至る幹線道路の道巾(幅)はどのぐらいの巾(幅)なのでしょうか。そして道路肩には何を植えたのでしょうか。
現在の幹線道路、例えば国道4号を一つとっても、想定される交通量や周辺環境に応じて道幅が広いところと狭いところがあります。歴史上の幹線道路も同様で、古代の東山道では広いところで20~30m近く(特に都城の周辺)、狭いところで3~6mくらいだったようです。路肩には側溝が設けられていたことが知られていますが、植栽まではよく分かりません。

 

■質問6 鎌倉時代〜南北時代の「奥大道」の道巾(幅)はどのぐらいですか。道路肩には何を植えたのでしょうか。
古代の東山道を受け継ぐとされる中世の奥大道もまた、広いところで20~30m近く(例えば陸奥国府や平泉の周辺など)、狭いところで3~6mくらいだったようです(ただし道筋は、東山道と一致するところと一致していないところがあるようです)。路肩には側溝が設けられていたことが知られていますが、植栽まではよく分かりません。

 

■質問7 質問5・6の「道」を維持するためにどのような整備が行われたのでしょうか。
古代には律令国家が集約する形で各地方機関に命じて整備・修復していたと考えられています。多賀城に南面する東西道路・南北道路では、奈良時代には13~18mだった道幅が平安時代には24~28mへと拡がっていることが判明しており、そうした拡幅工事も行われていました。幕府、朝廷、寺社と政治権力が分散している中世には、それぞれの影響下にある沿線の領主たちがそれぞれ整備を担っていました。そのため整備・修復状況も場所によって異なり、ちくはぐになっていた可能性が考えられます。

 

■質問8 学芸員に必要な心構えを教えてください。
よく学び、よく遊ぶ。

 

*佐々木さん、ありがとうございました! 仙台市博物館の情報はコチラからご覧ください。

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東北大学総合学術博物館 助教 小川知幸さんへの質問〜
 

■質問1 何故日本は西洋に比べて宗教色が薄いのでしょうか。また、現代の人々が信仰するならどんな宗教を作れば信仰する人が多くなると思いますか。
日本人も決して信仰心が薄いわけではありません。キリスト教や仏教、イスラム教のような崇拝する対象と儀式がはっきりした、いわゆる既成宗教とは違って、日本人は先祖をうやまう心があり、ありとあらゆるものに魂が宿っていると考える傾向が強いのです。この心は、江戸時代より前には仏教が、明治時代からは神道の一部が受け止めてきました。だから、日本人はどんなお祭りでも受け入れられるのです。会場で飯川先生がおっしゃったように、海辺や自然のなかで気持ちを開いてみると、ご自分でも感じ取れるかもしれませんよ。

 

■質問2 十字架は何故十字の形になったのですか。
イエス・キリストはゴルゴタの丘で十字架にはりつけられて処刑されましたが、3日後に復活したといわれています。これは人類の罪を背負い、なおかつ、その罪を克服したと考えられて、キリスト教の「罪と許し(赦し)」の象徴になったのです。ちなみに、中世では、はりつけのキリスト像の付いた十字架がよく使われていましたが、16世紀以降のプロテスタントの人たちは、キリスト像を取り外して、十字架だけを使うことを好んだようです。

 

■質問3 日本でクリスマスが祝われるようになったのはいつ頃からですか。
すでに江戸時代の後期に、長崎の出島にあるイギリス商館やオランダ商館でクリスマスパーティが開かれていたという記録があります。キリスト教が禁じられていたので、おおっぴらに祝うことはできませんでしたが、「オランダ冬至」と呼ばれて日本人も招かれていたようです。これを真似て、蘭学者などが江戸でも同じようなお祝いをしました。ただし、クリスマスツリーは、鉢植えの松の木などで代用していたようです。

 

■質問4 今からおよそ400年前に、仙台藩から支倉常長たちが、メキシコ、キューバ、スペイン、フランス、イタリア、フィリピンへと渡った訳ですが、その頃の世界情勢はどのような感じだったのでしょうか。
ひとことで言えば、ポルトガルとスペインで世界を2分割しそうになっていました。トルデシリャス条約という取り決めで、西の分割線であった今の南米ブラジルまではポルトガルが取りました。だからブラジルは今もポルトガル語です。その向こう側はスペインが取りました。スペインは太平洋を渡って日本まで来たのです。ポルトガルはインド洋を経由して、南西方向から日本に来ました。鉄砲はポルトガル伝来でしたね。だから日本は両方向からスペインもポルトガルもやって来て、東の分割線になりかけましたが、秀吉と家康が追い出しました。

 

■質問5 サンタクロースはどうやってたくさんの子どもたちにプレゼントを届けているのでしょうか。むかしと今とでは違うのですか。
時空間の転移説や贈与委任説も考えてみたのですが、やっぱり歴史で説明します。サンタの起源は古代ローマの時代、3世紀にトルコに近いギリシアに実在した聖ニコラオという司教さまです。伝説がその後ヨーロッパに入って、白馬に乗り、黒い顔の従者をしたがえた、精霊のような存在になりました。よい子に褒美を、悪い子に罰をあたえる聖人として信仰されました。だから、子どもにとってはある意味では怖い人だったのです。19世紀には、プレゼントを開けたら石炭だったというので床にひっくり返って泣き叫ぶ子どもの絵が残っています。

 

■質問6 なぜ人は宗教を信仰するのでしょうか。
むずかしいですね。人が生きていくのは楽しいだけでなく、苦しいこともつらいこともいっぱいあります。生きていく意味やこたえを求めつづけています。裏返せば、よりよく生きたい、より正しく生きたいと考えているということでもあります。ヨーロッパ中世の人たちは、自分が見たことのない世界や宇宙の姿を描いています。聖書とならんで、自然のなかにも神さまの設計図があると信じて、それらを観察するうちに、自然科学がうまれました。だから、自然科学や人文科学は、宗教がそうであるように、人びとの幸せのためにあるのです。

 

■質問7 美術を楽しむ、美術に触れるうえで「これを知ってるともっと楽しい!」という視点や考えはありますか。
ルネサンス絵画を見るときであればギリシア神話を知っていると、何がどういう意味で描かれているのかよくわかります。教科書にも載っているボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」だと、海の泡から生まれたというウェヌス(ヴィーナス)が中央にいて、左で息を吹きかけているのは春の西風の神ゼフュロス、かれが抱いているのはクロリスという妖精で、ゼフュロスのちからで花の神フローラに生まれ変わります。風のなかで花を散らしているのがわかりますね。右では女神ホーラが赤いマントを掛けています。赤色は情熱的な愛をあらわします。

 

■質問8 キリスト教の作品(イコン)が美術館にはよくありますが、どうしてそういうものの中には扉のように開くスタイルのものが存在しているのでしょうか。ただの絵のようなパネルやキャンバスではだめなのでしょうか。
イコン(聖画像)といえば東方教会、東方教会といえばイコンというくらい、イコンと東方教会は密接な関係があります。東方教会と西方教会(カトリック教会)では教会のつくりが大きく違います。東方教会では、祭壇と礼拝所のあいだに、イコノスタスという、壁と3つの扉でできた仕切りがあるのです。教会のなかに神殿があるイメージですね。この壁と扉には、決まった並べ方でイコンが掲げられています。とくに中央の扉には聖母マリアと大天使ガブリエルが描かれています。受胎告知です。イコンは、いわば絵で読む聖書なのです。

 

*小川さん、ありがとうございました! 東北大学総合学術博物館の情報はコチラからご覧ください。

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〜東北大学総合学術博物館 技術職員 鹿納晴尚さんへの質問〜
 

■質問1 仙台市内で化石を拾いに行きたいのですが、川原などでどこかポイントはありますか。
仙台市街地から近い化石産地は、広瀬川の澱橋のすぐ上流に竜の口層の化石産地があります。そのほか、広瀬川沿いにはポイントがあります。天然記念物ですので化石採集はできませんが、米ケ袋近くの珪化木の林(広瀬川凝灰岩層)もあります。仙台城址南側にある竜の口渓谷からも竜の口層の化石が見つかりますが、東日本大震災後、東側の入り口が危険な状態ですので、立ち入らないでください。
(イベント当日には言い忘れていましたが)同じ地層(竜の口層)は、泉区の焼河原にも露出し、化石を採取することができます。
太白区名取川上流の赤石橋周辺には茂庭層の化石が産出します。また太白区の茂庭発電所近くの沢にも化石が見られます。
そのほか、茂庭台西方の白沢層(昔のカルデラ湖の堆積物)から植物化石なども見つかります。運が良ければ昆虫化石も見つかるかもしれません。詳しくは「気分は宝さがし! : せんだい地学ハイキング」地学団体研究会仙台支部編をご覧ください。

 

■質問2 一番希少価値が高い化石は何ですか(種類、年代など)。一番多く発掘されている化石は何ですか。
希少価値というか、金額的に高い化石といえば(中生代の)恐竜化石です。有名どころではティラノサウルスでしょう。全身の骨格がそろうことは珍しいので、全身骨格が見つかった恐竜化石は研究的にも価値があります。ただし私個人としてはどんな化石でも貴重と考えています。地球が残してくれた昔の様子を知る手がかりとなる化石は、地球がどのように今の姿になり、今後人類がどのように生きていくべきかを考えさせる貴重な資料です。これを個人のコレクションとして死蔵されてしまうと、科学の進歩は阻害されてしまいます。化石は人類共通の財産と考えるべきで、広く人々に公開し、研究するべきものと考えます。
もう一つの「一番多く発掘されている化石は何ですか」という質問ですが、おそらく「微化石」が答えになります。微化石は顕微鏡サイズ、普通1㎜以下の大きさで、微生物の殻(から)の化石です。殻は様々な材質からできていて、形も様々です。種類としてはいろいろあります。ケイソウ、有孔虫、放散虫、石灰質ナノプランクトンなどが主に研究されています。その中でもサイズが小さいのは石灰質ナノプランクトンの仲間です。耳かき一杯ほどの少ない量の地層のサンプルから数千~数万個体以上の大量の化石が見つかります。このような化石を詳細に研究することにより、地層の年代や地球環境の変化などを知ることができます。微化石を含む海底の地層は、世界中の海から国際的な研究プロジェクトで掘削され、研究されています。また微化石を含む海底の地層は、地殻変動などで陸上にも広く分布しています。例えば地中海沿岸のチョーク層(石灰質ナノプランクトンの化石)や日本の付加体にあるチャート(主に放散虫の化石)なども大量の微化石を含んでいて、現在も研究が続けられています。

 

■質問3 考古学のどんなところが好きですか。
これは、仙台市縄文の森広場の佐藤 祐輔さんに聞いていただいたほうが的確ですが、私は古生物学(化石)の調査で、保存が良い化石が出てきて、この化石がどのような種類で、どんな時代に、どんな環境に生きていたかを考えるのが好きです。
私は最近では考古学関係の仕事もしていて、埋蔵文化財などを三次元で計測しています。その経験では、めったに見られない本物の古墳時代の壁画を間近で見ることができる機会があるなど、太古のロマンを肌で感じられるところです。

 

■質問4 (質問3を受け、)今までで一番楽しかったこと、驚いたことは。
今までで印象に残っているのは、化石に関しては恐竜化石の発掘をしたときです。
大学院生のとき、熊本県の天草にある御所浦島というところで化石の調査をしたときに、削岩機で砂岩を割ってみたところ、恐竜と思われる長さ60㎝以上の大腿骨を掘り出したことです。この化石の発見などが元となり、御所浦白亜紀資料館が設立され、島の活性化に協力できたことです。島の人たちにもよくしていただきました。
考古学関係では、震災関係の三次元計測で普段見ることができない福島県双葉町の清戸迫(きよとさく)横穴の壁画を間近に見ることができたことです。人類の絵を描く技術はその文化ですぐに変化したり、一部では変わらない部分もあるのだということがわかりました。

 

■質問5 アンモナイトはどれくらい発掘されているのですか。
これまで見つかったアンモナイト(アンモノイド)のうち、種として記載されているものは一万種以上に上ります。これらはふつう複数(数個~数十個)の個体から種を定義しますので、それだけで数万個体になると思います。そのほか、地質調査や展示目的、コレクションや売買目的などで相当な数が世界中で発掘されていると思います。正確な数値はわかりませんが、数億個体は下らないと思います。

 

■質問6 映画ジュラシックパークでは、化石から取れた恐竜のDNAから恐竜をつくりますが、DNAさえあれば本当に恐竜を生み出すことは今の科学では可能なのでしょうか。
今の科学では不可能です。古生物学ではなく生物学の範疇になってしまいますが、白亜紀以前の恐竜や昆虫化石から完全な恐竜のDNAを取り出せるほどの良好な保存状態の化石は今のところ見つかっていません。もし氷漬けの恐竜化石が見つかったとしてもDNA自体も時間がたつにつれ分解して、元の構造が分からなくなります。もしも完全な恐竜のDNAが見つかったとしても、それをクローン個体として成長させる技術は非常に難しく、現時点では不可能といったほうが良いでしょう。

 

■質問7 ナスカの地上絵は誰が書いたのですか。
この質問は私の専門外の考古学の分野だと思いますので、明確な答えは差し控えさせていただきます。
(ただ、私もとても興味があります。いろいろな対象がデフォルメされ、デザインが得意な宗教関係の人物たちが描いたものなのでしょうか?いろいろと想像が膨らみますね。縄文時代の土器などに残された様々なデザインにもどことなく共通性があるみたいでとても不思議です。)

 

■質問8 化石になるには何年くらい必要でしょうか。時間以外の条件はありますか。人間も化石になれますか。
■質問9 現代人が化石になるのは可能ですか(可能なら、どれくらいの時間がかかりますか)。
質問8と9は一緒にお答えします。化石とは過去(地質時代)の生物の遺骸または生物が残した痕跡を言います。地質時代とは一般に有史以前の時代を漠然と指しています。一方、研究者により、数千年程度前のごく最近の生物遺骸等を半化石と呼ぶ人もいます。一方で約1万年前(完新世)より古いものを化石と呼ぶ研究者も多く認められます。これを基準にすると大まかに今の生物が化石となるには1万年間必要になります。しかも、その間、地層や氷などに閉じ込められ、微生物の分解や地下水による溶解、化学的な変化などから免れることができる環境の中で体の一部が残る必要があります。
ただ、これだけでは現在生きている生物の化石とは呼べないかもしれません。なぜかというと、「有史以前」ということを考慮に入れると人類と文明が続く限り、今現在の人(ヒト)や生物が「化石」になることはありません。遠い(?)将来人類が絶滅し、他の文明をもった生物が地球上に現れたとき、現在のヒトは化石として研究対象となるでしょう。

 

*鹿納さん、ありがとうございました! 東北大学総合学術博物館の情報はコチラからご覧ください。

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▲たくさんの質問ありがとうございました!

 

【問い合わせ】
仙台・宮城ミュージアムアライアンス事務局
〒980-0821 仙台市青葉区春日町2-1(せんだいメディアテーク企画・活動支援室内)
TEL: 022-713-4483 / FAX: 022-713-4482
E-mail: office@smt.city.sendai.jp

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