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考古学からみたシカとヒトとの関係

 地底の森ミュージアムで保存・展示している富沢遺跡からは、2万年前の旧石器時代の人間・植物・動物の痕跡がまとまって発見されました。

▲富沢遺跡で発見されたシカのフン

動物の痕跡としては、写真のような丸くて黒いものが発見されたのですが、これが何だか分かりますか?50~100個くらいがまとまっており、発見された当時も何だかよく分からなかったようで、よく考えると動物のフンの可能性が考えられました。そこで、現在生息している色々な動物のフンの大きさや形と比べてみたところ、どうやらニホンジカのフンの形に似ているということがわかりました。おそらく、ここ富沢周辺にも2万年前にはシカなどの動物がたくさん生息していて、旧石器時代人の絶好の狩猟対象だったことでしょう。

 では、ヒトとシカは、歴史上いったいどのような関係を保ってきたのでしょうか?ここでは、ヒトとシカの関係について、考古学でわかる部分を少しだけご紹介していきたいと思います。

 旧石器時代と縄文時代は、狩猟採集の生活を行っていたと考えられていて、シカも当然狩猟の対象だったことが、貝塚などの遺跡から出てくる骨で分かります。また、シカの角は固くて丈夫なため、石器づくりのハンマーや骨角器と呼ばれる釣針やヤス・モリなどの漁撈具として活用されてきました。食糧や道具として、彼らの生活とは切っても切れない密接な関係だったことがわかります。ちなみに狩猟民である縄文人が粘土で造形する動物は、イノシシやクマが多いようです。

 では弥生時代になると、ヒトとシカの関係はどのように変化するのでしょうか?弥生時代になると、中国大陸から稲作が伝わって来ることで、ヒトの移動や文化も中国や朝鮮半島の影響を強く受けるようになります。こういった文化の変化にあわせて、新たな信仰の対象としてシカが注目されるようになりました。土器や銅鐸などにシカの絵がたくさん描かれるようになります。それはなぜでしょうか?

 現在も様々な場所で、神事として「鹿の角切り」が行われていますが、その主な目的は五穀豊穣を祈ったものが多く、秋に行われます。シカの角は秋に落ちて春先に生え代わるという特徴を持っていますので、その様子は発芽から収穫までの稲の成長と同じと考えられていたようです。

 狩猟の対象から、神事の神様へ。弥生人も現代人と同じ農耕民ですので、シカ信仰の原点は弥生時代まで遡ることができるようです。

 こういった時代の変化とともに変化するヒトと動物の関係を見ていくと、シカだけではなく他の動物でも面白いことが言えるようです。みなさんも、ぜひイヌやネコなどの身近な動物の歴史を調べてみてはいかがでしょうか?

 次回は、歴史民俗資料館からの予定です。どんな動物に関するレポートかお楽しみに。

 

地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館) 佐藤 祐輔

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