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2010/10/04
宮城県美術館と髭のない二匹の猫
今回は各施設と動物がテーマということで、宮城県美術館と二匹の猫のお話をしたいと思います。
宮城県美術館にアリスの庭という場所があるのをご存じでしょうか。アリスの庭は、美術館の本館と佐藤忠良記念館との間に位置する彫刻庭園で、湾曲したマジックミラーの壁面と動物や子どもの彫刻が織成す不思議な空間が注目を集める、当館屈指の撮影スポットです。
この庭のアイドルとなっているのが、一匹目の猫、フェルナンド・ボテロ(1932-)の彫刻の《猫》です。しかしその圧倒的な存在感に、最初は、それが猫だと気づかない人も多いようです。猫と言えば一般に、三角の耳にピンと張ったひげ、しなやかな肢体、そんなイメージですが、この作品のつやつやとした丸い顔に、筋骨隆々とした体つきは、キャラクター化された猫のイメージを打ち壊し、たくましい生命のかたちを目の前に突きつけます。
作者のボテロはコロンビア生まれ、ヨーロッパやアメリカで活躍している画家・彫刻家で、人物でも、動物でも、静物でも、「ふくよか」に表わす個性的な作風で有名です。なかでも《猫》は、彼のよく知られた作品の一つで、スペインにはなんと8m(!)の大作があります。その半分の大きさですが、それでも十二分に圧巻の大猫を、当館では「不思議の国のアリス」のチェシャ猫に見立てて設置しました。
ところで、実は、この猫にはひげが無いのにお気づきでしょうか。それには、美術館ならではのジレンマがあるのです。作品は、保存することだけを考えれば、理想的な環境を整えた収蔵庫にしまい込んでおくのが一番いいのです。しかし、美術は人々の目に触れて初めて生きるもの。そして絵画と違って丈夫な彫刻は、太陽の光の中で、肌で感じられるのも代え難い体験です。そこで美術館では、これらの彫刻を屋外に設置し、多くの人たちに楽しんでもらいたいと考えました。しかし、そのためには、ひとつ問題がありました。それは、《猫》のブロンズで出来た硬いひげが子どもの目の高さにあって危険だったということ。そこで作者の了解を得て、ひげをはずしたのです。その結果、ひげの無い《猫》は、子どもたちの人気No.1、美術館のスタンプの絵柄になるほどの代表作となりました。
そしてもう一点、今やテレビや雑誌などでも引っぱりだこの猫の名作が、当館にはあります。それが、長谷川潾二郎(1904-1988)の《猫》。
この二匹の猫には思わぬ共通点があるのです。それはひげが無いということ。
描かれたのは洋画家、長谷川潾二郎の愛猫タロー。潾二郎はある秋の日、気持ちよさそうに眠るタローの姿に惹かれて筆を執ります。ところが猫は冬になれば丸くなり、夏には伸びて長くなる。ありのままを眼の前にしないと描けないこの画家は、タローが同じポーズをとるのを待ち、何年もかけて作品を仕上げたのですが、ひげは描かれぬまま、肝心のモデルが老いて亡くなってしまったという、ホロリとさせられる裏話があります。
このエピソードが物語るように、潾二郎はとにかく遅筆で寡作な画家でした。エッセイ「気まぐれ美術館」の著者、洲之内徹が取り上げたことで、一部の美術ファンに知られるようになりますが、本人は変わらず、画壇からも、流行からも距離を置き、孤高とも言える制作態度を貫いたため、脚光を浴びることなく、その生涯を終えています。しかし思わず触れたくなるような愛らしいタローの寝姿が、孤軍奮闘、主人亡き後も人々を魅了し続け、潾二郎再評価の原動力となったのです。
それにしてもこの《猫》、極めて簡潔な画面構成なのに、タローへの愛情が結晶化したような詩情を感じさせる、なんて密度の高い絵なのでしょう。この作品は「未完の名作」などと呼ばれることがありますが、日記や制作ノートを読むと、潾二郎はひげが無いことを指摘されても、それでいいと思っていたふしがあります。タローの死後、洲之内に乞われてひげを描き足しますが、なぜか片方だけ。しかし潾二郎にとっては、この「片ひげ」が、作品の完成型だったのでしょう。
ちなみに、当館ミュージアム・ショップの売り上げNo.1グッズが、このタローをモチーフにしたクリアファイル。美術館の人気者が二点とも、ひげの無い猫なんて、ちょっと不思議な話です。
次回は、東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館からの予定です。どんな動物に関するレポートかお楽しみに。
宮城県美術館 学芸員 加野恵子
※ 待望の大回顧展「孤高の画家 長谷川潾二郎展」が2010(平成22)年10月23日(土)~12月23日(木・祝)宮城県美術館で開催されます。是非ご覧下さい。