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ミュージアム界隈 第2回「日常の切れ間に・ブリューゲル展にて」

3月の終わり、仙台駅から福島行きの普通列車に乗り込んだ。終了を2日後に控えた「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」を観に郡山市立美術館へ行くためである。私は枕元にボスの「快楽の園」の〈地獄〉に描かれているキャラクターのフィギュアを置いているほどボスが好きで、ブリューゲル(ピーター・ブリューゲル1世)の作品は良く知りもせず、思い入れもそれほどなかったのだが、この展覧会で展示されるおよそ100点の作品のほとんどがプライベート・コレクションで、しかも日本初公開。郡山市立美術館がこの巡回展最後の会場となることから、この機会を逃すとなかなか観る機会はないだろうと気になっていた。昔なら仙台発黒磯行きの鈍行列車があって(普通列車とは言ってなかったような気がする)、途中で乗り継ぐ必要などなかったのだが、などと余計なことを思いつつ…。

福島駅に着くという頃になって、福島県立美術館の駐車場入りを待つ車の長い列がJRの線路沿いまで伸びてきているのが見えた。そう、「東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展」がその3日前から始まっていたのだ。若冲展といえば、アメリカのコレクターであるジョー・プライスさんご夫妻からのお申し出と全面的なご協力により、2013年に被災3県の仙台市博物館、岩手県立美術館そしてこの福島県立美術館で震災復興祈念展を開催させていただき、本当に多くの皆さんに若冲の作品を中心とした江戸絵画を楽しんでいただいたことを思い出す。今回は国内外の美術館や個人からの出品により実現した展覧会。江戸時代最大の京都の火事となった天明の大火の後に描かれた襖絵「蓮池図(れんちず)」も展示されるという。この水墨画をぜひ観てみたい。それにしても平日なのにこの車の列はすごい…。

 

福島駅で電車を乗り継ぎ、50分ほど車窓の景色を楽しみながら郡山駅に着いた。少し早めの昼食をと、駅構内に良さそうな蕎麦屋を見つけ入った。メニューの中から注文したのは、川俣シャモのつけ汁そば。ミュージアム巡りをするときは、何を食べるかがいつもより大切になるような気がする。この店は会津蕎麦が名物で、はこばれてきた蕎麦は「透き通った白い」タイプの洗練された蕎麦。会津の地で育まれた蕎麦文化から生まれた深い一品に思えた。

品書きにはおいしそうな会津の酒がいくつか並んでおり、いつもなら当然酒を頼むところなのだが、この日は注文しなかった。何故に?それは今もよくわからない…。

 

美味い蕎麦を楽しんだあと、タクシー乗り場へと向かった。バスの便が悪く、次のバスまでだいぶ待たなければならないのだ。郡山市立美術館に行くのは初めてなので、距離感があまりわからないし、帰りの電車の都合もあるのでここはタクシーを選択。乗り込んだタクシーの運転手が「ブリューゲル展」を見てきたという。「テレビで頻繁にコマーシャルやってるんだよ。どんな展覧会かわからないとお客さんと話ができないからね」とのこと。こんな素敵なタクシーの運転手が仙台にもたくさんいてくれるといいのに…。「夫婦でミュージアム巡りなんて、同じ趣味持ってるのいいね。羨ましい」とおっしゃる。

 

美術館に着きタクシーを降りると、前庭と建物が目に入ってきた。「郡山の美術館は山を削って建てたんだけどね、それでもまだ山の中なんだよ」との運転手の言葉を即座に理解する。館内の導線はどこか岩手県立美術館に似ている…そんな印象を持った。展覧会場は春休みということもあって、小学生から大学生と思われる人まで若い人たちの姿が目に付いた。

展覧会は7章にわたるテーマ別の構成となっていた。第1章は「宗教と道徳」。ボスが下絵を描いたエッチング「告解の火曜日―ワッフルを焼く人のいるオランダの厨房」がある。画面の中央下に服を着た小さな犬が二本足で立っている。ブリューゲルが下絵を描いたエッチングも数点展示されているが、どの作品もボス風のシュールレアリスティックな味わいで、中でも「節制」では画面中央上に大きな天体すら浮かんでいる。「最後の審判」にはまるでボスばりの奇怪な生き物までたくさん登場しているではないか。その他、ヤン・マデインの「キリストの冥府への降下」もそのアイデアはまるでボス風だ。ブリューゲルが生まれたのはボスの死後であったけれど、この時代にはボスの影響がとても大きかったのだろう。えっ、ブリューゲルは「ヒエロニムス・ボス2世」の触れ込みで版画家デビューをしたのか…。ブリューゲルの作品からは奇怪なキャラクターは登場していなくても、どこかボスに通ずるようなシュールな感覚が伝わってくるように私には思えた。画集の絵からは受け取ることのできないなにかを本物は発している…。ここに「農民画家」ブリューゲルの姿はない。

第2章「自然へのまなざし」で観る風景画にはまるで現代の風景画にも通ずるような、様式などから自由になった印象を受ける作品も並ぶ。ブリューゲルはイタリアにも旅をしたようだが、神話を題材にした身体表現などのテーマよりもアルプスの自然景観を気に入ったらしく、イタリアから帰国してすぐにパノラマ的な風景連作を描いたという。

第3章「冬の風景と城砦」では、父ブリューゲルの作品の忠実な模倣作(コピー)を制作し続けたピーテル・ブリューゲル2世の「鳥罠」が何と言っても印象的だった。下塗りを終えたパネルに父ブリューゲルの下絵の輪郭線に沿って転々と穴をあけたカルトンを重ねて木炭の粉で印をつけて写したのだとか。もはや画家というよりも職人と言っても良いと思うほどだが、この「鳥罠」はその後の時代に描かれたいろいろな冬の風景画に確かにつながっているように思えた。

第4章「旅の風景と物語」、第5章「寓意と神話」と歩を進める。ブリューゲルの孫であるヤン・ブリューゲル2世による「嗅覚の寓意」と「聴覚の寓意」はその父ヤン・ブリューゲル1世がルーベンスと共同で描いた絵を模した作品だという。オランダではこの時代、作家どうしによる共作などの取り組みが行われていたことに驚いた。

第6章からは写真撮影もできるという。このような展覧会では珍しいことだろう。この章では「花のブリューゲル」「ビロードのブリューゲル」と呼ばれたブリューゲルのもう一人の息子ヤン・ブリューゲル1世をはじめとするブリューゲル一族が描いた花を画題とした作品をたくさん楽しんだ。「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」という作品はヤン・ブリューゲル1世と息子の2世による共作。当時、チューリップはトルコから西ヨーロッパにもたらされて日が浅く一般的にはまだ珍しい花だった。大人気となり投機の対象ともなった結果、当時のオランダではチューリップバブルとでもいうべきものが起き、西洋世界で初めての経済的危機の原因にもなったのだという。こんなこと世界史や美術の教科書にはのってはいない。

最終章は「農民たちの踊り」。農民の日常生活は当時最も人気のあった主題のひとつだという。

ブリューゲルの作品は下絵を描いたエッチングの「春」が1点のみで、ピーテル・ブリューゲル2世の作品が中心となっており、そこは少し残念。でもピーテル・ブリューゲル2世の「野外での婚礼の踊り」はやはり圧巻。絵の中ではいろいろなキャラクターの人がそれぞれ勝手なことをしているようにも見えて、昔から人間は少しも変わってないのだと思った。

盛りだくさんであり、かつ実に細かいところまで丁寧に描き込むブリューゲル一族の絵なので、何度も作品の間を行きつ戻りつして楽しむこととなった。もちろんもっと時間をかけてじっくり観ることができたら良いのだけれど今日はほら、在来線で楽しむミュージアムの旅だから…。

 

ブリューゲル展の会場を出て、残された時間、常設展の部屋を覗いてみた。郡山市立美術館はターナーなどのイギリス美術のコレクションでも有名で、そのコレクションの中から大きな肖像画をはじめとする数点も展示されていたが、そこで私が楽しんだのはむしろ地元出身のアーティストたちの作品の数々だった。中でもガラス工芸家佐藤潤四郎の作品には全身が反応した。佐藤はスーパーニッカの手吹きボトルを作った作家で、今でもスーパーニッカはこのボトルの形状を原型として人々に親しまれている。ガラスの花器やグラスなど、見る人の心をほっとさせてくれるような個性をもった作品が多い。そして…ステンドグラスや鍛鉄製のオブジェに表現された「ガラスの神様」たちが私の心を震わせる。どうしてこんなに楽しくて素敵なのだろう……まいった。

何か特別な展覧会が開催されていなくても佐藤潤四郎のコレクションを見るために、きっとまたこの美術館に来るだろう。

思えば、岩手県立美術館の舟越保武の彫刻、宮城県美術館の佐藤忠良の彫刻や絵本の原画、福島県立美術館の斎藤清の版画、諸橋近代美術館のダリの彫刻や絵画、仙台市博物館の伊達政宗関連の資料…。特別展が開催されていなくても時々足を運びたくなるミュージアムが私にもある。そのリストに新たに書き加えたいミュージアムにこれからもこんなふうに出会えたらいい。

 

今日はとても嬉しい一日になった。さあ郡山駅行のバス停まで歩こう。今夜はやはり会津の酒で楽しもう…。

 

せんだいメディアテーク副館長・遠藤俊行

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ミュージアム界隈 第1回「それぞれの「交流」の物語」

 

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