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ミュージアム界隈 第3回「梁川にて」

「あの展覧会、今週末で終わってしまうな・・・。」

博物館に勤務していたころは特別展を開催するたびに、会期最終日近くになって来館者が詰めかけ、チケット売り場に長蛇の列ができたり、なかなか前に進まない展覧会場の光景をみていたので、会期の早いうちに来ればゆっくり見れるのにな…と思っていた。この展覧会が始まる前の6月頃からぜひ見に行きたいと思っていたのに、博物館の職を退いた自分も同じことをやってしまったな、と苦笑した。

「今週末はどこにでかけようか?」という娘のひと言にこの展覧会の話をしたら、「これはわたしも観に行きたいな」とのこと。すぐに話は決まった。週末の8月25日(日)に目指すのは伊達市梁川美術館で開催中の「村上康成絵本原画展 森羅万象 東北ブリージング」

初めて訪れた梁川美術館はきれいで小さな美術館だった。1994年開館とのことだが見た目にはずっと新しく見えた。展覧会の会場は2階のフロア。私たちが着いた時には3組ほどの家族連れが展示されている作品を鑑賞中。大人も子どもも楽しそうだ。今回の展覧会では村上さんが制作した17冊の絵本から原画作品が展示されている。村上さんはボローニャ国際児童図書展グラフィック賞、BIB絵本原画展ビエンナーレ金賞、日本絵本大賞をはじめ数多くの賞を受賞した自然派アーティスト。その名前や絵本は知らなくても、イワナやカワセミ、モモンガなどのイラストをカレンダーなどで見たことのある人はきっと多いはず。

 

会場でなじみの深いキャラクター「イワナのピンク」を見つけて素直にうれしくなる。村上さんの絵本原画を見るのは初めてだ。さらっと眺めると見過ごしてしまいそうな小さな小さな動物や虫が、ちょっとしたところにかくれるように描き込まれているのが素敵だ。原画展だからこそこんなディテールに素直に感動できるのかも知れない。

村上さんがイワナやカワセミを正面から描いたイラストを私はとても気に入っている。目が体の両側面に付いている生き物を正面から描くのはとても難しいと思うのだが、それなのに彼の描いたイラストはとてもいい表情をしている。

 

「999ひきのきょうだいのおひっこし」という絵本は、小さな池に生まれた999匹の蛙の兄弟たちが成長して池が狭くなったため、両親とともに引っ越しをすることになり、蛇に出会ったりとんびにつかまったりとドタバタ劇の末に、無事大きな池にたどり着くというお話。小さな池からあふれ出しそうなほど、蛙の兄弟たちの顔がたくさん描き込んである原画が展示されている。ここにはきっちり999匹の蛙が描かれているのだろうか、などと思いながら見てみると、もしかするといそうな気もする。数え始めてはみたものの、すぐにわからなくなってしまうので、これはたまらないとカウントするのをあきらめて、次の作品へと移動する。

 

グラフィックデザイナーである娘に尋ねると、村上さんはアクリル絵の具を使っているのだそうだ。また、わざと背景の色はムラを残しておくというこだわりがあるみたいだということを教えてもらう。そう言われて作品をもう一度見直すと、なるほど…。やはりそれなりの目を持った人のひと言が鑑賞を助けてくれることを実感する。そしてこれは原画でなければわからないことかも知れない。

 

「コバンザメのぼうけん」は仲良しのクジラからもっと「せけん」を知らなくてはいけないと言われたコバンザメが「せけん」を探しにでかけ、タツノオトシゴ、タコのおばさん、ウツボ、アンコウのおばあさんたちに出会い、速く泳ぐことだけがいいのではなくいろいろなものを見るためにはゆっくり泳ぐのもいいものだとか、いちにんまえは寂しいけれど寂しいというやつをいっぱいもっていて、それで、少しも寂しそうな顔をしないやつが、ほんもの…とか、いろいろなことを勉強していくという物語だ。絵本の中に入る大きさの同じイラストなのに、クジラの存在感がこんなにも大きいのはなぜ?

 

村上さんの絵は写実的ではなく、できるだけシンプルな表現をしているのだが、日本酒に例えれば「すっきりしているのだけれど、複雑な旨味をたっぷり含んだ」テイストのお酒とでも言えるような気がする。釣りが大好きな村上さんは、「幼少より釣りや自然を相手に自らの肉体をフルに使い、真正面から堂々と遊びまくった。その体験が時代を経て、創作活動の内なる糧となっている」と言っている。きっと村上さんの絵は、幼いころから体に染み込んでいる魚をはじめとする生き物たちが新たな命をもらって形となっているのだろう。

 

いったい何枚の原画が展示してあったのかはわからないが、そのひとつひとつの作品すべてを作家が丁寧に気持ちを込めて描き上げたように、わたしもじっくり楽しみ味わうことができた。小さな展覧会ではあったけれどしっかりと記憶に残る展覧会だった。観たものを記憶しているということだけではなく、原画を観ながらいろいろと感じていた自分を忘れないという意味でも…。

いつの間にか入場者が増えてきた。どのグループも家族連れという感じだ。最終日にはやはりたくさんの来場者があるものなのだな。

 

梁川美術館の常設展の主役は梁川町生まれの著名な彫刻家・太田良平(1913-1997年)。わたしは名前すら知らなかった。その作品や作品制作に使用された道具類が展示されていた。たくさんの道具類にはなにか職人的なものを連想してしまう。

木彫の仏像たちは太田のフィルターを通して新たにデザインされ、今日なお、とても斬新で洗練され、大きな驚きだった。また、太田が大切なテーマとして取り組んだブロンズの修道女像はその大きさと力強さに圧倒されたが、同時に包み込むような大きなやさしさと毅然とした厳しさの両方が伝わってくるものだった。木彫、ブロンズ像のどちらも予想を遥かに超えるインパクトを持ち、全身でそれを受け止めなければならなかった。だから常設展を見ないで過ごすのはもったいない。機会があればぜひ多くの人に見てほしい作品、知ってほしい芸術家だと思った。

 

美術館のすぐ土手下を流れている川で遊びたいと同行していた孫が言うので、川の方へ降りる。流れている川の水はとてもきれいで、川の名前は広瀬川という。そしてすぐそばにかかる橋の名前は広瀬橋。観光マップには輪王寺跡とか東昌寺跡といった場所もみえる。そう、梁川は仙台藩祖伊達政宗の先祖が戦国時代に拠点とした歴史のある町なのだ。

 

話は少しそれるが、この夏仙台市博物館で開催されていた企画展「戦国の伊達氏 -稙宗から政宗へ」を観た。後期の展示が始まってすぐの頃に観に行ったのだが、そこで真っ先に感じたのは、学芸員のアイデアと頑張り。こういったテーマでの展示はどうしても古文書が展示資料の主役になり、古文書のわからない人にとってはつまらない展覧会になってしまいがちだ。今回の展示では、文書のかたち、折り方、手紙の書き方から、書状・知行宛行状など文書の種類や伊達氏の合戦の終戦・停戦の仕方などについて丁寧にしかもわかりやすく説明したパネルや10数枚にのぼる子どもガイドが適切に配置されていたほか、文書に使われる和紙の種類や特徴を手で触って感触をつかんでもらえるような展示もあり、一緒に展覧会を観た妻も「古文書なんて何にもわからないけどなかなか面白い展覧会だったね」と言っていた。会場で小学生の子どもが父親に質問し、父親が展示をみながら適切に説明していた光景を見たが、こんなわかりやすい展示だからこそ可能だったのだと思う。古文書が展示のほとんどを占めるような展覧会でも素人にも楽しめる展示ができるのだねと、心の中で博物館のスタッフに拍手を送った。

せっかく梁川に来たのだから少し歴史の痕跡を訪ねてみようと、初めにまちの駅やながわからほど近い梁川城跡に行ってみる。伊達氏が梁川城を築城したのは13世紀の後半、3世義弘、4世政依の頃と言われる。それ以降、中世伊達氏がおよそ4世紀にわたり勢力を拡大する拠点となった。梁川城本丸跡に建つ浅間神社側からは本丸庭園「心字の池」や土塁を内側から覗き見ることができた。11世持宗から16世輝宗の時代まで、伊達家は足利将軍家と緊密な関係を保持しつつ南奥羽の有力大名としての地位を築いていくとともに京都文化を積極的に取り入れていったと言われている。

 

伊達家14世稙宗が室町幕府から初めての陸奥国守護に任ぜられたのは1522年。まさにこの梁川城を居城としていた時のことであった。梁川のまちをドライブしていると、盆地の東端から西端までがよく見渡せる。稙宗は1532年、梁川城から盆地西端の桑折西山城に移り、1536年には「塵芥集」を定め、伊達氏の領国支配の基礎を作った。高校の日本史の教科書にでてきた「塵芥集」はこの福島盆地で生まれたのだと思うと、今から500年近く前のことがいつのまにかより現実味を増して感じられるようになってくる。

 

もう一カ所くらいまわってみようかと梁川八幡神社へ向かう。この神社は984年の創建。11世持宗が1426年に再建したものであり、現在の本殿は1745年に落慶したものである。仙台藩祖となる17世政宗も1582年、15歳の時に戦勝祈願のためこの神社を参拝し、梁川城に逗留したという。今年度までの2年間の解体修復工事中ということであったが、ほぼ工事が終わりつつあったのか、大きな拝殿と決して大型ではないがしっかりとした装飾が施された立派な本殿が印象深かった。また、この神社の東側には別当寺である龍宝寺が隣接している。山門も鐘楼もかやぶきで実に重厚である。八幡神社と龍宝寺…仙台と同じである。

 

17世政宗の祖父晴宗は1559年に室町幕府より奥州探題に任ぜられ、文字通り大崎氏をしのぐ奥州有数の大名として認められることとなった。桑折西山城から本拠をすでに米沢城に移していた政宗の父輝宗が晴宗から家督を相続し16代当主となったのが1564年。政宗の誕生まであと3年である…。梁川でそんなことを考えながら福島盆地を見渡していると、それぞれのやり方で伊達家の勢力拡大に取り組んだ戦国伊達家の当主たちの背中がみえてくるような気がした。

 

その2日後の午後、再び仙台市博物館を訪れ企画展「戦国の伊達氏」を観た。戦国時代の伊達家の当主たちがやり取りした文書などに、どこか懐かしい気持ちで向き合っている自分がいた。

せんだいメディアテーク副館長・遠藤俊行

 

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